No 001 人に何かを教える

背景

都度、仕事でもそうでなくても、よく私は何かを教えることが多い。勿論、得意である理科系や数学のことについて教えることが多い(実はそれしかできないとかあるけど…)。その中で、たまに教えるのがうまいという話もされる。私としてはそのような感覚はあんまりないが、だけどその感覚を自分の中に残しておくのは良くないと思い、ここに書いてみることにした。

教えることとは

私の中で、教えるというのはただ教えるだけではないと思っている。その事柄をしっかりと理解して、自分のものとしてしっかりと利用することができる。そこまできて、”教える”と思っている。そして、学ぶことは何かから教わらなくても自分で学べたら解決することなので、学ぶことは教わらないとできないというわけではないと思っている。逆に、教えるにはある程度相手がその事柄を学ぶ気力がないといけないため、私の中での教え切ったは相手が学び切ったことにならないと成立はしないと考えている。(感覚としては、学ぶの集合の中に教わるという集合がある感覚)

その為、初めにあるものとしては、相手が学ぶ気力があるかどうかということである。なければいくらやっても出来ない。(ただし、相手に火をつけて学ぶ気力が生まれたら別であるが…これは難しい)

逆に言えば、相手に学ぶ気力さえあれば相手の準備はそれで終了する。あとは、我々の準備と行動で何とかなるだろう。ではその中身に触れていくとしよう。

知識を広く持つ

教える前にやることはいくつかある。その中でも準備が大変なものをお伝えしよう。それは教える知識だけでなく、その知識に付随する情報をなるべく多く持つことだ。ただ教えるだけでは聞いている側としてもそれは単なる作業となるので、あまり面白くない。そこに、付随して情報を与えてみよう。そうすると、その教えていることに広がりを持ったり、またその先を知ることもできて、視野が広がる。視野が狭い状態で事柄を進めるのと、先が見えながら行うとはやりやすさが全く別物であるのは明白であろう。なので、教える側はまずその事柄の背景をたくさん準備するのが良いと思う。

相手の考えを尊重する

次に、考え方の準備を伝える。常に頭の中で考えてほしいものとして、相手の行動や発言にリスペクトを持ちながら一緒に話していくということだ。相手としては、そのようにやった行動というのは自分の中では正解、正しいと思って行っている。そこで相手を尊重せずに、その行動を否定するととても気持ちとしては下がってしまい、またその行動で教えている我々のことも嫌なものとして受け取るだろう。その為、相手の行動や発言もまた考えたなりの努力であり、それは正解不正解関係なく素晴らしいものであるというのを考えておくことが必要だ。それが尊重することであると私は思う。

相手に寄り添い、同じ土俵に立つ

さて、ここからは実践していく中でどうしていけばよいかを伝える。とはいえ、簡単な話であるが、相手と同じ土俵に立って、対等に話すことが必要だと思う。これは教えること以外でも使える話だろうと考える。教えるにおいて、一番有効なのが相手がその事柄を学び身に付けることである。そしてそれを行うには、相手と違う土俵にいると話が通じなくなるため、同じ土俵に立たないといけない。では、その同じ土俵とはどういうことか?それは、相手に通じる・興味のある・知っている話を持って、教えていくことだ。私の感覚として、全く関係のない話をいきなりされても誰でも困る話だし、何より頭に入ってこないと思う。その為、相手の知っていることや通じることから、繋げていって、最終的にその教える事柄もその中に入れる感じで行うのが良いと考える。

否定ではなく、肯定を

教える感覚として、他に相手を肯定していくというのが必要であると考える。誰でも否定から行っていくと、その人は学ぶ上で重要な新しいことを行い試すという行動にためらいやできないといったことになる。そうなると、その人の学ぶ気持ち自体が消えることになる。これは最初に述べたことが達成されなくなり、結果教えることすらできなくなる。なので、肯定していく必要がある。どのように肯定していくのかというと、とりあえず節々を理解したうえでしっかりと褒めていくのが良いと思う。言えば、適当に褒めることもまたマイナスになるということだ。その人の行動パターンをしっかりと理解して、その部分を褒めることで、「あ、わかってくれているんだ」と相手に信頼され、自信を持つことができる。

一方的にならない

そのほかに、教えることで良く陥りがちなのが、一方的な教え・指導である。教えることは一方的に何かを話してそれで終わりではないと思う。逆にその行為は単なる発言しているだけに過ぎず、それを見て理解しようと思う人は一握りだろう。ではどうすればいいのか、それは一緒に学んでいくことである。教える側としても再度学ぶにはという意識を持つことで、お互いに対等になり、お互いを共有して、しっかりと学ぶことができるだろう。

まとめ

今回は私の教えるの感覚についてお伝えした。もし、何かを教えることがある人は私の意見も参考にしながら行っていくことを願っている。勿論、私としてもこの感覚が間違っていることもあれば、不可能なこともある。その時はまた私も修正することもあるし、教えてもらって話を増やすことにもなるだろう。(まあそもそも深夜にこれを書いているので、寝ぼけで間違っているかもしれないし…)

それではこれで以上。

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